「彩七ちゃん?」
同じ学校の友達からお誘いがあったので、
今日はお昼過ぎから出かけることにした。
お母さんも邪魔者がいなくなるので、「行ってらっしゃい」と快く見送ってくれた。
来週から始まる新しい学校生活に備えた買い物を
満足に済ませ、夕方わたし達は別れた。
電車を降りて改札口を抜けたところで後ろから名前を呼ばれた。
顔を見てほんの一瞬誰だか分からなかったけれど、
見覚えがある愛嬌のある笑顔で思い出した。
「吾妻さん」
わたしが識別した事にほっとしたのか、
「久しぶり」と少し落ち着いた声で言った。
「本当に久しぶりですね。その荷物、家に帰ってたんですか?」
吾妻さんはウチに住んでいる高校生。
確か今月から三年生になる。
背中に大きなスポーツバックを一つ背負い、
そして両手にも重量がありそうな鞄と紙袋をそれぞれ持っていた。
「春休みだから帰らないと母親がうるせえの。こんなに荷物も持たされたし」
吾妻さんのお母さんは美人だ。
こっち方面に来る度にウチに寄ってくれる。
旅行だという口実で本当は吾妻さんの顔を見たいからだという事は知っている。
とてもやさしい人だ。
「母親から彩七ちゃんにお土産あるから、後で渡すな」
ありがとうございます、とお礼を告げる。
吾妻さんのお母さんは松永家だけでなく、わたしにも度々贈り物をしてくれる。
以前あまりに申し訳なくて断った事があるが、
「娘がいるようで嬉しいの」と、とても嬉しそうな顔をしてくれたので、
それ以降は感謝を告げて素直に頂くことにしている。
その代わりと言ってはなんだが、毎年年賀状の遣り取りもしているし
修学旅行のお土産も手紙を添えて送った。
吾妻さんのお母さんという認識よりも、親戚の人という感じだ。
それから、と思い出したように吾妻さんは小さな袋をわたしにくれた。
中身はキーホルダーだった。
「東京タワーですか?」
わたしがいるこの県にもタワーはあるが、
これはドラマなどで目にした事のある形だ。
そうだよ、と吾妻さんはやさしく答えてくれた。
「ちょっと東京行ってたから俺からのお土産」
吾妻さん東京に行って来たんだ。
吾妻さんの実家からそんなに遠くないし、遊びに行ったのかな。
なぜ、と理由を訊こうとしたが口を詰むんだ。
そうだった、吾妻さんは三年生になるんだ。
三年生、つまり受験生だ。
地方のこんな郊外にあるけれど、彼らは有名進学校の生徒だ。
あの学校からは毎年大勢の人達が
誰もが耳にしたことのある有名大学に進学している。
きっと志望校の下見も兼ねて訪れたのだろう。
「東京行くんですか?」
わたしがそう訊ねると、まだ分からないと吾妻さんは答えた。
まだ先の話だし、と笑ってくれたけれど現実はもうすぐそこに来ていた。
みんなどこかへ行ってしまうのだ。
「彩七ちゃんこそ、どこか出かけてたの?」
吾妻さんにはさすがに負けるけれど、
わたしもそこそこ大量の荷物を持っていた。
久々に街中へ行ったので、つい買い過ぎてしまった。
「友達と買い物に行ってて。
新学期の準備とか、他にも欲しい物がいっぱいあったので」
新しい筆箱、新しいポーチ、新しい鏡、新しい手帳。
わたしのすきな物が揃った新生活。
なぜ新学期には持ち物を新調したくなるのだおうか。
高校祝いということで、今日は自分につい甘くなってしまった。
「そう言えば、高校生になるんだよね。早いな、あの彩七ちゃんが」
なにか考えるようにしみじみと喋る吾妻さんに、
「あの彩七ちゃん、ってなんですか?」と軽く突っ込むと、彼は笑った。
ウチは白学専用の下宿屋だけれど、原則として高校生からしか受け入れていない。
生徒の大半が親元を離れて来ているので、もちろん学校には学生寮が完備してある。
しかし、どうしても寮生活が合わない人が出てくる。
校則だったり人間関係だったり、悩みは人それぞれだ。
そういう人達を受け入れているのが我が家だ。
ウチと同じように下宿屋は他にも何件かあるのだが、
ウチだけが高校生からの受け入れだと決めている。
なぜそうなのかは分からないが、誰も口にしないのでこれが話題に上ることはない。
ただ、吾妻さんだけは例外であった。
詳しくはよく知らないが、中学一年の時に領内でトラブルに巻き込まれ、
それ以来ウチで暮らしている。
当時なにがあったのか気にならないわけではないが、
知ったところでどうしようもないし、
そのおかげで吾妻さんと出会えたのだから感謝している。
だけど今では一番付き合いが長い分、来年彼が卒業するのが嫌だ。
「バス来た」
我が家のすぐ傍を通るバスがやって来た。
平日は一時間三本、休日は一時間に二本しかない不便な場所だ。
吾妻さんの横顔を見る。
ちょっとだけ変わったような気がするけれど、ほとんど前と一緒だ。
頻繁に顔が変わったら困るのだが。
だけどなぜさっき一瞬だけど分からなかったのだろう。
声色や雰囲気は全然変わっていないのに。
頬のところが少し痩せたからかな。
彩七ちゃん、と突然名前を呼ばれる。
思わず「はいっ」と過剰な反応をしてしまった。
先にどうぞ、と吾妻さんが乗車する順番を譲ってくれる。
そんなちょっとした女の子扱いに少なからずドキッとしてしまう。
高校生になるのが楽しみな理由、
それはこんな風な素敵な好きな人を見つけたいからなのかもしれない。